みずものココロ

こんにちは。福岡県糸島市在住。時々千葉に出没します。20年以上グラフィックデザイナーをやっています。来年度から実家の事業継承いたします。日々の思いの本音の本気を綴っています。

ワクチン論争

新型コロナウイルスのワクチン接種が行われています。
65歳以上から高齢者の方々はほとんど接種済みかと思います。
地方によっては50代も終わってる箇所があるかも?
福岡県の私が住む地区は、50歳代の受付がやっと月末より始まります。

さて、この「ワクチン」ですが、開発される前後のかなり早い段階から「打つな!」と警鐘を促してる方々がいました。
その方々は、私が「この人だったら信用できる」と思った人たちでした。
皆さん有名な方です。その共通要素が「スピリチュアル」でした。
スピリチュアルでなくても、ごく一般的な開業医ではなく、心の面からと一人の生命の観点から見た医療を施す医師たちでした。

こんな警鐘が届く位置にいる私ですから、彼らに近い位置に私も存在していることになります。
時にLINEで、時に呼び出して、私に「打つな!」の説得がありました。

その警鐘の鳴らし方が、なぜだか今回に関しては、ものすごく異常に聞こえてしまう自分がいます。

私は悩みます。 打たない選択をすべきか・・・。
今置かれている状況下を加味すると、また、それ以上の人数存在する、付き合いのある、ワクチン肯定派か・・・。

最後は自分が決めることです。
死ぬかもしれないけど、いつかは誰でも死ぬ。
死ぬ気になって受けてみるのもいいのかなと(笑)

でも片方で思うんです。
まだ予定が未定の20代の息子には「日本製のワクチンができたら打ちなさい」と。

今精一杯頑張っている最中の私。
人間を二人、産んで育てた後だから、怖いものはない。 
命、それほど惜しくない。
その後生きられたら、それ、拾い物の素晴らしい人生じゃないのかな?ってね。

自分の目は自分贔屓

毎日、毎朝鏡を見ますよね。
鏡を見て、身だしなみやメイクをチェックして、納得して外の世界に出かけていく人がほとんどですよね。

今朝、鏡を見て「今日のメイクはバッチリ!」と納得して出てきた姿を、友達が遠巻きに写真で撮影してくれた写メがメッセージで届いたとします。

 

大抵の場合「え?なに?これ、私なの??」と目を疑わんばかりです。
服装は同じだし、確かに顔も私・・・だけど、

 

私、こんな変な顔してるの?こんな顔を世間にお披露目してるわけ?

しかも何?私こんなに太ってないわ! 何かの間違いよ!

 

そうなんです。写真は何から何までいつも見ている自分と違います。

その理由は、鏡と人からあなたを見る目線とでは「左右が違う」せいです。
最近は、気楽に写真を撮る機会も増えたので、やたらと気になりますよね。
その他、鏡を見る時は、無意識に「キメ顔」をやってしまうので。
だから、自分の目は自分贔屓ってことです。

全身の写真については、一説には10ポンド大きく見えると言われています。
Kgに換算したら「4.5Kg」に相当します。
4Kgでワンサイズ違いますから、9号サイズの服を着てる人は11号サイズ・・・
13号は15号に膨らんで見えてきます。。。これは大変ですね!

なぜこんなことになるのかは、「カメラは一つ目小僧」だからです。
人間は、左右に二つの目を持っていて遠近感や奥行きをとらえます。
しかしカメラは「一つ目小僧」なので、奥行きも平坦に写してしまうという特徴からこうなります。

現代だからこそできた新たな悩み・・・ここまで皆さんがカメラを活用する時代ですから、もう、徹底的にカメラ慣れして、カメラ用の「キメ顔」や「得意な角度」を見つけましょう。
いつ写真に撮られても凹まないよう、自分磨きを始めてはいかがでしょうか。

カメラに慣れる意味で、たくさん撮ってもらえば、どれか1枚くらいは納得できる写真に出会えるでしょう。

大丈夫、魅力のない人なんかこの世にいません(*^^*)
自信を持って撮られてくださいね〜。

「後悔」のストレス

「あの時こうしていれば・・・」と後悔することがよくあります。

人間は誰でも人生の中で何度もこのような考えを巡らすでしょう。

でも「こうしなかったんだから今なのよ」ってことなんです。

「こうした」って今はないのですよね。これが現実。

 

でも、この現実、間違っていないですよ(^ ^)

 

「こうしていれば」「なぜこうしなかったんだろう」に囚われる人は多いです。

例えば、人の命について・・・。

「自分があの時声をかけていたら、この人は今も私のそばにいた。」と言うことがあったとして、その考えに多くの人が「タイムマシーン」が出てくる映画を思いつきます。

「タイムマシーンがあったら」「この選択以前の自分に戻れたら」・・・。

自分が声を掛けなかったことだけで、大切な人の命は簡単には消えません。
人が亡くなるためには、それこそいくつもの偶然が重なってしかあり得ないからです。

あなたが声を掛けたとしても、この世の命はその人にとっては「終わる運命」です。

その方だけでなく、自分自身の運命も同じです。

 

・・・話はかなり軽くなりますが、

私も以前はとても後悔する人でした。・・・いや、後悔ほど重い言葉ではなく、思い出しては叫びそうになるほどの恥ずかしさをまとった「悔やみ」がほとんど。

相手がいたとして、その相手に次に会う時どんな顔をしたらいいか・・・。

または、もうあの人に会えない。こんな醜態を晒したのだから・・・のほうが圧倒的に多かったですね。

それがある日のこと、まだ10代の頃のことです。
「悔やむより反省することにする」と決めたのです。


「後悔」は過ぎたことを修復できないのに、ただただ嘆くこと。
「反省」は、失敗と認めて、次は気をつけること。

そうしたことで、嘆くことやその場に止まって落ち込むことがなくなりました。
そして、毎日を真剣に生きることができるようになりました。
いや・・・失敗が怖くなくなったのかもしれませんね。

後悔したらキリがないし、やり直すことができないので、ずっと嘆き続けることになります。

でも、失敗しない人いるでしょうか? 人間ですもの、誰だって失敗するし、失敗なんて思わなくていいこと、考え方によって幾通りもあります。

「こうであるべき」「こうでなくてはならない」との考えが強いと、「心配」や「後悔」などのエネルギー消費が激しくなる「ドツボ」にハマります。

また、「自分が助けなきゃ」「なんとかしなきゃ」「成せば成る」って考えも、TPOを選ぶ柔軟さが必要です。

この現代において、物事の考え方に多様性が出てきているのを感じられている方は多いと思います。
未だ、「こうであるべき」「こうでなくてはならない」とお考えなら、この先は窮屈であり、納得いかないことばかりが今まで以上に起きてきます。

できれば心穏やかに人と接せられる世の中でありたいと私は願います。

初出荷と事業継承

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榊畑の最初

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榊の最初2

父が亡くなり、農地を相続しました。
・・・ですが・・・今まで毎月帰省しては農作業を手伝っていたくらいで、実際の農業経験はほとんどありませんでした。
しかし不思議なもので、いざ相続して自分名義になった途端、土地への愛情が芽生えて参りました。

そこには、生前父が榊を植えて、そのまま25年くらい放置しているのだそうで・・・。
全様を見るまで、正直おっかなびっくりでした。

コンテナにノコギリとハサミを入れて、土地に踏み込んでため息・・・。
どこから手をつけて良いものかと途方に暮れました。 まだ存命の母は「あの土地は開拓が大変だから買い手があれば手放した方がいい。今欲しいと言って来てる人がいる」と、持て余しているのは確かでした。 
でも私は手放す気がありませんでした。買い手があると言っても「あんなに荒れさせてたらもう手放した方がいい」とその業者が言ったおかげで私の心に火が点きました。

「あなたには絶対売らない! 手放す気はない!」

そう言って業者の男性二人を追い出してしまいました・・・。
つい口走ってしまったからには、手をつけるしかない・・・。

この荒地に対して、自分が使える物はノコギリくらいのものでしたが、どこから湧き出た自信なのか「これを出荷して家計を助ける!」と、きれいに店頭に並ぶ榊の姿がはっきりと浮かんでいました。※上の写真は最初に挑んだ竹切りと草を引き抜くだけの作業。

その気持ちを、まず身近な友達に伝えました。それから同級生に配信しました。
その気持ちを汲んでくれた同級生が3時間くらいで、草刈り機とチェンソーを使って切り開いてくれました。 本当に榊が見えた時は感動しました。
榊は太陽が降り注ぐ場所が苦手なので、鬱蒼と茂っているから生き残れていました。

それからとても大切なのは、ほぼ毎週農作業のお手伝いに来てくださる、私がもっとも尊敬する30年来の友達の存在です。この人がいなかったら、先祖からの尊いプレゼントを喜べなかったと思います。
彼が雨水で通れなかった道を整備してくれて、奥まで軽トラが入るようになりました。

荒地と化した土地と、根拠のない自信と、過程をすっ飛ばした商魂。

根元に追肥をし、枝を整えたり、手入れを頑張ったおかげで、今では立派な「榊畑」に変貌。

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現在の榊畑

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出荷した榊

今日の3月31日天赦日に最初の出荷を終えました。(神棚には一日と十五日にお供えします)
きれいどころを選りすぐり、初めてのお嫁入りを終えました。

農業はとても奥深いです。これからも大変なことも苦しいこともあるでしょう。
でも、今日のこと、これまで頑張ったことを思い出して乗り越えていこうと思います。

明日の4月1日に、親からの事業継承をいたします。
今後とも、よろしくお願いいたします。




生きやすくする方法

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私の一部の知り合いや、スピリチュアル系の人が、3年前から「大変革が起きる」と言っていました。
何が起きるかわからないけど、今までの常識が通用しない社会になるよ、自分は間違ってないって思っちゃうと生きづらくなるよ・・・って、そんなことをみんな口々に言っていました。

 

そんな話を聞いたって、どうなるかわからないし、その時考えていいじゃん!と思っていましたが、いつの間にか段々と私自身も変わっていました。
どんなことが起きるかと、その時点で明確に答えられる人はいませんでした。
でも、今考えたら、どんなことが起きてもいいように、私は徐々に、自分自身の凝り固まった考えを知り合ったみんなが、寄ってたかってほぐしてくれてたって思います。

考えてみたら、みんな「天使」なんですよね。
私が一番嫌う、力づくの注意ではなく、波が岩を長年掛けて丸く削るような、根気強さと優しさを感じられるのです。

 

私をとても変えてくれたものは「倫理法人会」でした。
倫理法人会は、人生の教科書というべき「栞(しおり)」が存在し、何度も何度も読んでいくと、心の凝りを解消してくれます。それは本当に自然に気づかせてくれますので、自分が変わってきます。そうなると周囲も変わって行きます。

倫理の教えは、物事の起源は「自分である」という考えです。
好ましくない事例は周囲のせいにする前に、自分自身が周囲に迷惑をかけるようなことをしていないか、等閑(なおざり)にしたようなことはなかったか、家族を大切にしていたか、先祖を敬っているか・・・など、自分の日常を振り返って、その歪みが今の事態を産んでいると考えます。

「自分は間違っていない」「あの人はダメだ!」「あの人嫌い」
・・・を口に出す人は、この先は大変生きづらい世の中になっていくでしょう。
「この人はこんな考えなんだ」「それもあっていいかも」「楽しい人だね」
・・・のほうが、優しくて楽しいです。

この先は、他者の個性を認め合い、より広い心で繋がっていく時代になると考えています。きっとそれは、びっくり箱を開けるような面白いことにも出会えるかもしれないし、今まで考えもしなかった発想に楽しさやワクワク感を覚えることにつながるかもしれないし、また一方でコロナのように、今まで散々地球を大切にしなかったツケを目の当たりにすることも続くかもしれません。

そんな時代に必要な心構えは「なるようになる」という柔軟な意識。

この時代に、自分が社会の一部でどのように関わり、どのように責任を持ってどのような行動を取るのかを問われる時代になると思います。

何が起きようとも、事態を目の前にして慌てずに、わがままやこだわりを捨てて臨機応変に対処することができたら、きっと楽しく生きられると思います。

「台風10号」という来訪者

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非常に強い台風が、実家の九州へ近づいています。
私は2日に、3ヶ月間新型コロナウイルスの影響で様子を見ており、千葉に戻る時期を見極めていましたが、なぜこんなに大変な台風の時期に実家を離れてしまったのかと、実は悔やんでいます。

友人たちは口々に、「台風が逸れてくれるといいね」と言ってくれますが、逸れると言うことは、どこかの県、どこかの国が被害を受けることになります。


自分の幸せは、誰かの不幸。 晴れていればどこかが曇る。 昼間があればどこかが夜。 自分の祈りは誰かの不幸を願うこと・・・。

 

そんな感覚を一掃するために、新型コロナウイルスは全世界に広がったんじゃないのかな?と私は思います。

 

自然災害の、台風や地震は、地球上で一斉に起こるのではないから助け合えます。

だけど、コロナウイルスは、ほぼ全世界で蔓延してしまいました。

この意味は「事故が起きました。日本人の犠牲者はいませんでした。」と言う、自分さえ良ければ他は知らないと言う感覚にクサビを打ったものだと私は考えています。

自然災害も、コロナウイルスも、元は人間のわがままが生んでしまった怪物です。誰だって罹る可能性を持っています。
台風だってそう。どこでだって被災者になる可能性があります。

だからね、「気にしてくれてとっても嬉しいけど、台風は自然災害だから、備えて過ぎるのを待つしかないのよ。」って思っています。

家が吹き飛ぶこともある。車が壊れることも、苦労して手入れした庭木や農産物もぐちゃぐちゃになるかもしれない。
だけど、生きていれば、またなんとか再建できる。
何度も竜巻で家を飛ばされてる人だっているんだから。生きていればまた建てられるし、希望も持てる。

だから、私は運命を受け入れたいと思っています。

大丈夫! なんとかなる!

あなたは誰より素晴らしい!

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あなたは自分を認めていますか?

自分を労っていますか? 褒めていますか?

今までいろんなことがありました。ものすごく辛くて嫌な思いもたくさんしてきました。だけど、頑張ってここまで生きてきました。自分なりに精一杯毎日を生きているはずです。その答えが、今でしかない。

 

これじゃダメだ! まだまだだ! どうしてできないんだろう。

もっと頑張れるなら、そう思い続けるのは良いことです。

でも、他者に言われたからと、自分がその位置まで達してないと思い込むのは違います。

 

それで辛い思いをしたのなら”そうじゃない!”って、本心が叫んでいる証拠です。 


そんな時はね、自分を褒めてください。

「がんばってるよね!アタシさっ!」

って、大声で言いましょう。 

 

人の言葉に流されないで、自分をしっかり持って、踏ん張りましょう!

だって、唯一無二のあなたなのですから!

 

偉いよね! 頑張ってるね! 素敵だよ! 大丈夫だよ!