みずものココロ

こんにちは。福岡県糸島市在住。時々千葉に出没します。20年以上グラフィックデザイナーをやっています。来年度から実家の事業継承いたします。日々の思いの本音の本気を綴っています。

Shi Sei Kan

「死生観」

ちょっと昔なら、「縁起でもない!」と叱責されていたと思います。
そう言っていた祖母も、母も、戦中戦後を生き抜き、否応なしに身近な人たちの「死」を見てきて、悲しんだ背景があるのですから仕方ありません。
祖母たちは子沢山で、わが子を一人残らず育て上げた経験を持つ人のほうが少なかった時代ですから、できれば避けたいことだったに違いありません。

今は、病気になったり、交通事故に遭ったりしないと、まず死にません。
病気になっても、ちゃんと健康診断をしていれば殆ど死の危険性を回避できる時代になりました。

その他は・・・自殺が多いのが現代の大問題です。

 

私も長い間、生きている意味を見失っていた一人です。

きっかけは「リーマンショック」以降、今までの疲れがどっと押し寄せて、職業病の「頚椎ヘルニア」を発症し、痛みは半年で収まりましたが、精神的に這い上がるまで5年かかり、「私がいつ死んでも誰も困らないし、悲しまないはず」と思い込んでいました。
その間に私がしていたことは、「DV被害母娘の救済」でした。
被害に遭っている母娘を朝逃げさせ、市役所に駆け込み、弁護士との仲介役を2件しました。彼女たちの夫から待ち伏せされて包丁で刺される夢も見ましたが、その頃は命が惜しくなかったので怖くなかったのです。

でもきっと、どこかで生きている実感が欲しかったのだと思います。それと、人に必要とされたい欲求があったから強烈で捨て身なことをやったのだと思います。

 

 その後、時の流れに任せて、状況にあらがわず、すべてを受け入れることを続けているうちに、気が付けば毎日普通に食べて、寝て、働いて、笑って、話して・・・自然に感覚が戻っていました。

 

コツは「あるがままを受け入れる」ことです。

 

物事は、必要な時に必要に合わせて現れます。
良し悪しは、受け止め方で変わります。

 

例えば「運が悪かった、時期が悪かった」と思われることでも、物事は必要な時に現れるので「学び」を導くためだと捉えれば意味は違ってきます。

 

そうして、間違いなく私は人生を取り戻しました。

 

 一昨年、父と妹同然の従妹を続けて見送ったとき、私の死に行く人やお葬式に関する恐怖は消え失せていました。それと同時に自分自身の死生観がこの時整ったのです。
そして、親や周囲から受けてきた環境を加味して、自分自身の人生をやっと歩み始め気がしています。

 

私が生まれてきた訳は・・・「両親から『体』をもらい、この丈夫な体をメンテナンスしながら、五体と五感を使って、人の役に立つため、多くを学ぶため」だと思っています。
何より「愛」を知り、「愛を人に分配するため」・・・かもしれません。

 

生まれてきたなら、やがて終わりが来ます。肉体に「終わり」が来る意味でもあります。魂は何度も生まれ変わるかもしれないし、まったくの闇になり、これっきりで終わるかもしれません。どっちに行っても良いように、今、この時を、一生懸命に生きればいいのです。

醜くても、無様でも、情けなくっても、辛くったっていいんです。今の痛みが、生きている証に他ならないんですから。 

好きな人と、大切な家族とふれあい、言葉を交わし「愛」を真ん中に生きていれば、人生に間違いはありません。


愛おしい人や家族が居なくても、今を不運だと感じているとしても、人のせいにして恨みつらみを持たなければ良いのです。 人を陥れなければ大丈夫。 人の評価や目を気にしなければ良いのです。我が道を行けば良い。 

 

 答えは、精一杯生きた先にしかありません。 一緒に頑張って生きていきましょう。