救済と思いやりの境界線
千葉ポートタワーです。これを撮影した直後に地震があり、タワー内のエレベーターが止まりました^^;
6月くらいだったかな、取材でフードバンク千葉に行きました。
海外・・・特にアメリカでは、国が「フードバンク」を運営しており、無職の人や生活困難者が教会や公園に並んで食べ物を受け取り、中にはそれで3食を済ませる人も大勢居るそうです。
日本には、まだ浸透していませんが、本当に今日食べる物がないとか、何日も食べていない人が実際に居るので、そんな方たちがすぐに食べられるものを提供するのが、フードバンクの立ち位置とのこと。
日本では、公園で食べ物を配るなどのことはしていませんが、利用できる人は、生活保護の申請をして、お金が下りてくるまでのつなぎとして食べ物を支給する立場であり、逆を言えば、生活保護などの何らかの申請の行動を起こした人にしか利用する権利は与えられません。
必用な支援とか、場所とか手段とかは、行動を起こさないと手に入れられないよ!という前向きな手引き。
「さぁ、そんなところに居ないで、みんなで元気に明日に進もうぜ!」なんて気持ちがないと、生きていてはいけない・・・って世の中なのかもしれません。
で、どんな人たちが支援を求めてくるのですか?と質問したら、なんと、オール年代!
特に多いのが、30代~50代の働き盛りなんです。「働かないからだろ?」って言いたくなりますね。私ら健康だからさ。
でも、まじめな人とか、優しい人とか、気の弱い人とかが、精神的に病んでどうにもこうにもならないって人、多いらしいんです。
失業中の人には、「我慢が足らなかったんじゃない?」
離婚した人には、「あなたにも原因があったんじゃない?」
子どもが飢えてる人には、「あんた親でしょ!プライドを持ちなさい!」
ご老人には「働いてた時に蓄えを計算しなかったの?」
精神を病んだ人には「甘えてんじゃないわよ!」
少なからず、まじめな日本人はこんなことを考えてる人たちが多いはずなんです。
だから、「フードバンク」って、施しに頼るような哀れな制度を表に出すことを躊躇するかもしれませんし、
それに甘んじる人間が増えたらどうする!って思う方々も出てくると思います。
しかし、現在、フードバンクにある食べ物を見ると、米・ソーメン・スパゲティ・めんつゆ・しょうゆ・ソース・調味料で、常温保存が利くもの以外の備蓄がないのです。「生もの・・・酵素がありません」
これでは、長く食べることはできないようになっています。
さて、なぜ「フードバンク」を日本に持って来ようと最初の方は思ったのでしょうか。
ここに鍵があります。
事実、この飽食の日本で「飢え」が存在することに、私もショックを受けました。
なぜ「飽食」と思うのか? それは、「品質保持期限」や「消費期限」を設けたからです。
形が悪いだけで廃棄処分になるお野菜や果物。
もっとナンセンスなのは、食べ物が入っていた段ボール箱の隅がへこんでただけで売り物にならない・・・など、など・・・。
中身、何のダメージもないですから!
私は、実家が農家です。 土に触れ、土の素晴らしさや農作物の生命の力を身近に感じている一員です。
曲がっていようが、へこんでいようが、腐っていようが、包丁で痛んでいるところを削り取ったら食べられます。
要は、日本人は「フードロス」(食べれるのに捨ててしまう人が多い)のです。
食べられるものを捨ててしまうなら、完全にだめになる前に、フードバンクに寄付しませんか?ってことを広めたいと思うんです。
親が飢えるのは自業自得としましょう。では、その人たちの子どもが飢えてたとしたら、親には馬鹿親だと罵倒しても、子どもは食べて大きくなってほしいと思うのが、同じ民族の助け合いだと思います。
子どもには罪がないから、たくさん、遠慮することなく、お腹いっぱい食べて欲しいって思います。
だってさ、子どもは紛れもない宝ですから!
日本の子ども・・・日本で生まれた子どもは、みんな、紛れもないステキな天使です。
笑顔を曇らせないような活動があれば、私は頑張りたいと、そう思うのです。
※お問い合わせはこちらまで http://foodbank-chiba.com/