みずものココロ

こんにちは。福岡県糸島市在住。時々千葉に出没します。20年以上グラフィックデザイナーをやっています。来年度から実家の事業継承いたします。日々の思いの本音の本気を綴っています。

誰もが超能力者

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超能力って信じますか?

スプーン曲げたり、宇宙人と交信したりできないと「超能力者」とは言えないと思ってませんか?

実は私たち人間は、みんな「超能力」を使えるし、持っています。

 

例えば、思い出してみましょう。

”最近○○さん、お元気かしら?”と思っていたら、その方から連絡が来たことありませんか?

また、ある方のことをずっと考えていたら、不意に会うことありませんか?

その他「予知夢」とかありますね。 デジャヴとか・・・。

それと「予感」って当たりませんか?

特に「心配していたこと」って当たりやすくないですか?

「良いことは当たらないのに、悪いことばっかり的中しっちゃって・・・。」とお嘆きのあなた。

その元凶はあなたなのです。

もっと的確に言うなら「あなたが心配したからその通りのことが起こった」と解釈できます。
人間の能力ってすごいですよね。 明るく良いこと楽しいことより、ダークなことの方が「闇=黒」なので、どんな薔薇色の感情も、一瞬にして「暗黒」に塗り上げることができます。
だから、闇の考えの方が当たりやすいんです。

極端なことを言うと、悩みを相談する占い師。

「こうしないとこんなことが起こってこうなる」と煽られると

”こうなるかもしれない” ”こうなったらどうしよう”と

「与えられた不安要素」で、あなたは「暗黒物語」の脚本家となっていき、結果、言われたことが起きてきます。それは、占い師のシナリオにあなたが乗ってしまったせい。

「よく当たる占い師」も、あなたに「暗示」をかけて操るのです。
だから、脅すようなことを言う占い師には気をつけてください。

お子さんに出がけに「全くあなたはいつもグズで・・・転んだりしないでね!」ってお母さんが言うと、子供転びますし、何かに怯えて生きていきます。

だってあなたが「暗示にかけてる」んですから。

起きもしないことを想像して、的確な筋書きまで作ったら、完璧であるほど実現しやすいです。

逆に、良いことや将来の目標も、細かく想像して絵まで書いたりしたら、これまた実現できます!

だって、みんな超能力者なのですから!

辛いこと苦しいことなんて、山ほどあります。

反面、楽しいこととかワクワクすることもたくさんあります。

物事はあなた自身の「心」が決めることで、願えば叶うし、悔やめばその通りになる。


だから、自分を信じてコツコツやっていきましょう。
必ず花開く時がきます(*^^*)

親子の連鎖

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子供は親を選べないと言いますね。だから、毒親でも仕方ないって。

でも、一説によれば、ちゃんと自分で選んでいるって言うのもあります。
私の感覚は、後者です。

 

肉親は、神にもなれば悪魔にもなりやすいです。
お互いに肉親だからって甘えが出るから、ものすごく理不尽でもなんとかなるし、無かったことにもなります。

でも、何かの時に再燃してしまったら恐ろしい争いにも発展してしまうことに・・・。

世の中が「生きづらい」と思う背景には、親の言うとおりに生きてきた結果の場合も多々あります。親の顔色を伺いながら育ったり・・・。
そんな時ははっきり言います。

「あなたのせいじゃない」

なんか違うなぁ〜と感じた時は、あなたの成長の証なんです。
正しいと思う方向に歩いて行ったら、答えが見つかるでしょう。

正しいと思う方向に進んでみたら、オセロゲームみたいに今まで黒と思っていたものが「白だった!」に気づくと、大変なショックを受けます。
だって、世の中はとても「白」だったのですから「今までの苦労や、今までの人生はなんだったの?あの人はなぜ私に黒だと言い続けたんだろう」と沢山の疑問から不信感に代わり、嫌悪感から恨み節を唱えたく成ってきます。

信じていたものが間違っていたと思った瞬間、この先の進む方向がわからなくなってしまうこともあるでしょう。

そんな時は思い切って疑問を「御存命のうちに」ぶつけてみてください。
もしかしたら、何か理由があったのかもしれません。理由を話し出された時は口を挟まずに聞いてあげてください。
反対に、逆ギレされたら、それくらい辛い過去があるんだと黙って解釈し、触れないでください。

そこで、もう、試練は終わります。 今までのことは考えないでください。

過去と同じ分、いや、それ以上に未来があります。
過去を無かったことにするには、これからを変えていけばいいだけなのです。

もう、振り返るのはやめましょう。もう、恨みを持つのをやめましょう。

そうしないと、親御さんの人生に引きずられてあなた自身の人生を歩めません。

人は誰でも「自分の人生を幸せに生きる権利」を持っているのです。

 

許すことからあなたの人生のスタートです。

 

「心配」は良い言葉?悪い言葉?

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「心配」って「心を配る」って書きますよね。
その漢字通りだと、とても暖かい気持ちになり、だからこそ「心配してくれてありがとう」という言葉(お返事)も出てくるわけですが、実際の「心配」ってどんな感じでしょうか。イラストのような感じでしょ? 困ってますよね、苦しんでますよね。

辞書を調べると
「起こってもいない事を不安がる事」

「何か悪いことが起こらないかと考え、心が落ち着かないこと。」
・・・となってます。

 私の場合は、「心配なのよ!」「心配してるのよ!」と言われると、悲しい気持ちになります。その言葉の裏は「あなたには無理よ」「どうしてそんなことするの?」と感じてしまいます。
だから、決まって言うのは

「私のこと信じていないの?」

 今までその「心配」で、やった事、やろうとした事を思いとどまってきました。
もし、実行後であったなら、やってしまった事を後悔して不安に駆られ、幾日も棒に振りました。

 ある時、親や周囲や他人の意見に振り回されすぎる自分に気づきました。
そして何より、一番信じていなかったのは「自分自身」だと思いました。
結婚して、二人の子供を産んで育てた経験、自分なりに手探りながらも一生懸命生きてきた経験を信じなくて、他者の意見に振り回されてては、自分の人生を生きることにはならないと思ったのです。

 そんな考えを持つ私ですから、子供たちには「自立」を早くから進めています。
失敗することも経験させます。やりたいことなら止めません。
だって、結果が良いか悪いかは、経験しないと出せない答えだし、その答えが良いか悪いかも、その人の判断でしかないのですから。

もっと言うなら、その経験がしない方が良かったかの答えは、ずっと先にしかない。
でも経験したことの答えは、やっぱり、「やっておいて良かった」に尽きると思います。

結論として「心配」とは、やはり、良くないことだと思います。
その事を踏まえて、身内や親しい人との「心配り」を心がけて欲しいと思います(*^^*)

 

物は生きている

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前回も書きましたが、この期に及んで事業用パソコンの購入をした私です。
今までのパソコンはまだが合わなくなったのと、これからもデザインの仕事を続けていこうと決意したから頑張りました。

その新しいパソコンが手元に来てしばらくすると、古いパソコンに支障が出るようになりました。でも、幸いなことに電源ケーブルを買い替えたら大丈夫そうなので一安心。

 

「物は生きている」・・・このフレーズは、倫理法人会所属の方なら誰もが一度は耳にした文言です。

倫理法人会に所属して、栞の十一条「物はこれを生かす人に集まる」ー万物生々ー
の章を読んだ時、多分そうなんだろうなと元々感じていたことが間違っていなかったと確信しました。

 

誰もが仕事で使用する「物」は、長い時間一緒にいて、物も自分もお互いに一対でなければ事をなせません。
使う側の私たちが特に「物」の存在に助けられているのも関わらず「すぐ壊れた」「不良品だ」「役に立たない」などと、使えなくなった途端にゴミにします。

 職人と呼ばれる方達は、道具を大切にします。 自分の分身のように、道具に何か宿ってるかのように思い通りに動いてくれるから、物の大切さをとてもよく理解されているはずです。

 私が物に魂が宿っていると感じたのは、毎日利用する車の買い替えを考えた時でした。
昔からなぜか、車と家にお金をかける事が少なく、車は10年以上乗りますし、引っ越しもなるべくしたくありません。結婚して最初に買った車で子供たちの送り迎えをしました。十一年目にファミリータイプの車にしようとディーラーに見に行き、新しい車の購入を決めました。
 最初の車は、いわゆる「高級車」と呼ばれる部類の車で、レジャーに不向きで走行距離3万キロくらいでした。下取り価格があまりにも低かったので中古車店に交渉しました。少しでも高く買ってもらいたかったので、一生懸命掃除をして磨き上げましたが、その途中でパワーウインドウが壊れて窓が閉まらなくなりました。

その一件以来、我が家では、乗っている車の中で新しい車の話や今よりグレードの高い車の話はしないことにしています。 だって、走行中に拗ねて故障したら大変じゃないですか(笑)

 他、OLの頃に乗っていた車の調子が悪いので修理業者に依頼しても、検証の段階で症状が出ないことが続きました。つまり、私の扱い方が悪かったのです。
愛情を持って、いつも綺麗にしてあげて磨いていたら、きっと素直に素敵な車でいてくれたはずです。

 人間は頭で考えて理解していても、実行に移さないと意味がありません。
頭で物を大事にしようと思っていても、本当に大事にし始めたのは、3台目からでした。大切に磨き上げ、話しかけて名前もつけています。

 運送会社の社長の体験談ですが、事故や故障が絶えなかった会社で、担当車に自分の愛しい人の名前をつけるように言うと、大切に扱うようになり、事故や故障も激減したそうです。

私は車より、パソコンがパートナーですから、いつもどこに行くのも一緒に大切にしていきたいと心に誓うのです。
きっと前のパソコンも、まだ頑張れるって注目をして欲しかったのだと思います。

世の中の人に、あなたの生活に欠かせない「物」たちに愛情を持ってもらいたいと私は伝え続けたいと思っています。

請求書をやめました。

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請求書

※ここに書くサービスは、私と面識のあるお客様に限られますので予めご了承ください

私が最も嫌だと思うのは、完成後の請求書書きです。
自分の作品に自信がないと解釈されかねませんが、実はそうだったりします。

同じ支払いをするのなら、喜んで私に払っていただきたいと、そう思います。

もしかしたら、不平不満だらけで、1円だって払いたくない人だっているかもしれない。それは本当によくないと思うんです。

コロナイウルスの流行で、私の広告関係のお仕事は激減・・・どころかゼロになりました。パソコンも古くて、買い替えたいけどこんな世の中じゃ、私のような仕事は最初に淘汰されてしまうなと考え、本気で閉じようと考えていました。

しかし、広告はいつも誰かが必要としているんだと、コロナの自粛期間に実感しました。その時期は、誰だってお金に困っていたので「困ってるのはみんな同じだから無料でやります!だって必要でしょ?」と言いました。
そう言った後の仕事の楽しかったこと!
力が抜けて、どんどんアイデアが降りてきます。
ご依頼者様もうれしい悲鳴。

この体験を通して思いました。

「これからは、お客様に私の『評価額』を出していただこう」と。

そこで、一念発起でパソコンをリニューアルしました。
プロ仕様ですから、それなりの金額はしますが、飽きやすい私が続けて来られたこの仕事ですから、やっぱり天職なのでしょう。
やめずに、諦めずに、続けていく決心をしました。

私にデザインのお仕事をご依頼される方々は、最初は戸惑いながらも、もったいないほどの評価をいただいています。
きっとお互いが「笑顔」です。
こんな仕事を私はやりたかったのだと、始めて20年目にやっとわかりました。(笑)

やっぱり、続けてきて良かった。 心からそう思います。

だからこれからも、頑張ります。
私にできることがあれば、言ってきてください(*^^*)

飢饉普請(ききんぶしん)

飢饉普請(ききんぶしん)という考え
~この時期に実家リフォームに踏み切った想い~

 

「飢饉普請」という言葉を知ったのは、「小林正観」さんの本を読んだ時でした。

言葉の意味は「生きたお金の使い方をする」ことらしいです。

 実家は、築約130年です。古民家・・・という感じは無いのですが、柱と梁は昔のままで、代々の当主がメンテナンスを繰り返して今に至ります。
私の父は、大変この家を愛しており、庭と自宅にはお金をかけてきました。
しかし、その父が度重なるリフォームのたびに除外してきたのが、屋内の浴室です。
 昔の農家では、屋外の汚れた身体をお風呂で清めて母屋に入るもので、浴室は湿気を伴うために「家が腐る」と断固として許しませんでした。


 しかし母は、長年農作業で足腰を酷使してきたために腰が曲がり、86歳で寒い冬に段差を超えて外の浴室に向かわせるのは限界を感じていた矢先、3年前に父が他界し昨年の母の脳梗塞発症を機に水廻りの大改築を計画しました。

 思い切ったにも関わらず、世の中は予想外の「新型コロナウイルス」での自粛期間中。
中国の工場停止で材料が入らない危険性が…大工さんからも「どうしますか?」との連絡が入りました。

 

 そこで私の頭の中によみがえった言葉が「飢饉普請」です。
この新型コロナウイルスの時期は、世界的に大不況が襲ってくることは目に見えています。
もちろん、世間的にはこの時期に行動を起こすのは正気の沙汰ではないのかもしれませんが、回さないと経済は動かないし、この時期を逃しては、母の不自由な体のまま快適な暮らしは望めません。改築資金は生活費に回されて消えてしまう。
母に新しい部屋とすぐに行ける広いトイレ、雨や雪に遭わない軒続きのお風呂という、本来なら当たり前の生活をさせてあげたい、そう思うだけなのです。
形に残さねば、一生後悔すると思いました。

 それともう一つ。

実家の敷地内に、施工年が昭和22年の納屋があります。(築74年)
この納屋は、戦中に金属がほとんど供出されたために、釘が使われていない技法で造られています。 話によれば、敷地内にあった杉の大木が台風で倒木して納屋を壊してしまったために、やむをえず建築に踏み切ったらしいのですが、世の中が戦後の飢えの時期であり、日々の糧を求めていたのでたくさんの方に集まっていただき、皆さんに寝食を提供して建てられたと聞きました。
実家は、その当時存命していた私の曽祖父が建てた家で、周囲の村々のまとめ役をしていた時期もあったために、誰もが同じく苦しい時期だからこそ、率先して事を成す役割を担ったのだと思います。

 
だからこそ今、改築に踏み切るのが当主10代目である私の役割ではないかと感じました。
大工さんからは、中国産の材料でなければ調達可能とのことでしたので、国内産であれば自国のためにもなりますし、一石二鳥です。

 

 まだ私は、結婚して千葉と福岡の半々の生活しかできていませんが、残された人生をどれだけ世のため人のために尽くせる日々にできるかが、第三の人生のテーマであり課題と定めています。
この気持ちは、父方と母方から受け継いだ「責任」と「誇り」であり、両家とも決して裕福ではなかったけど、人のために尽力した血筋であると感じています。
今、とてもきつい日々ですが、とにかく踏みとどまらず何かの行動を続けていくことが突破口になると信じています。
私の体には、代々の知恵と勇気が組み込まれています。
誰の身にも同じだけあります。
自分を信じることが「自信」です。 だから先祖に感謝しなければ!(^^)!

自粛の時は「お墓参り」したら、何かが降ってくるかもしれませんね。(閃きなど)

長文へのお付き合い、ありがとうございました。

伯母ちゃん ありがとう

素敵なおばちゃんに感謝を込めて・・・

伯母が、96歳で永眠しました。

「伯母」なので、福岡に住む私の母の姉になります。

母の家系は教鞭を執る人が多く、祖父の意思を継いで長女の伯母が同じ職に就きました。

小学校の先生だった頃は、はっきり大きな声で話し「大きな声で!」「しっかり食べなさい!」とパキパキだったので苦手でしたが、本人の姑と夫を見送った後に、地元公民館の館長を20年ほど勤め、豪快で明るく世話好きな伯母が大好きになっていました。

不幸が襲ったのは、館長を辞した後の熱い夏。
脳梗塞で倒れて、発見が遅かったために片耳が完全に聞こえなくなり、もう一人暮らしは危険だと、介護施設に入所しました。
一度脳梗塞になると繰り返すそうで、1年半後に2度目の脳梗塞で片耳のわずかな聴力と、輪郭だけうっすら見える視力になってしまいました。
そんな中、週に一度の息子の来訪も単身赴任でなくなり、施設の方たちの介護だけで何の楽しみもないままの状態が続くこと、約2年後に他界しました。

こともあろうに、時代は「コロナウイルス」で、病院のお見舞いも許されません。
本当なら、誰か身内が体をさすってやり、声は聞こえなくても触れ合えたはずですが、こんなことすら叶わぬまま逝ってしまいました。

コロナ患者ではなかったので、自粛期間中の火葬場の都合で、二日間やっと自宅で眠れたそうです。
関東に住む従兄妹は、7名。
お世話になった伯母ですから葬儀には行きたいと従兄に相談すると、高齢者の多い土地に、関東の危険区域から移動することは許されないと釘を刺されました。
もちろんそうですが、今頃になって、コロナウイルスに対する遣る瀬無さがじわじわと来ました。

伯母はきっと、ひっそりと逝きたかったのかもしれません。
でも、あれだけ親戚や家族や地域に尽くしてきた伯母をひっそりと見送るのは切ないです。

本当に、早く終息してほしい。
それを願うばかりです。